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2012年03月11日

「使える博士」へ改革

今日の日経新聞で「「使える博士」へ大学院改革」という記事がありました。

博士まで進学して長期間大学で研究していると、狭い専門にとらわれ、視野が狭くなるので、「使えない人材」になってしまう。論文の執筆についても教員の指導が行き届かず、学生任せになっている。だから修士論文を不要にして、その代わりに筆記試験を課して、専攻分野以外の幅広い知識を習得させて、使える人材を育成できるようにする、といった改革を文科省が行おうとしていると報じています(省略・要約しています)。

大学の中の博士の実態を知っている私としては、かなり違和感がある論調です。

どうしてもそれぞれの特定の人の育成・進路相談ではなく、制度全体の議論をすると、ステレオタイプ的な現状認識から出発し、総論的な対策でまとめることになるので、手間のかかる本当の現場での有効な対策にならないような気がします。

そもそも20代後半になる学生の教育・進路相談の効果が、試験を課す程度の改革で大きく変わるとは思えません。

そもそも議論の出発点である「使える」、「使えない」とはどのようなことでしょうか?

昨今、博士卒のワーキングプア問題が取り沙汰されます。最高学歴の博士課程まで学びながら、良い給料の職に就けないという状況を問題視しています。

そもそも報酬とは何によって決まるのでしょうか?学校の成績が良いから報酬が高くないといけないのでしょうか?学歴が高いから報酬が高くないといけないのでしょうか?

実際のビジネスの現場で仕事している人であればそのようなものではないということがすぐに理解できるはずです。労働し、価値を生み出し、それに相応した報酬を得るのがそもそもの大原則です。もちろん現実の社会には、利権や派閥などがあり、いろいろな力学で地位が決まり、報酬が決まることもあります。しかし、大原則は労働により生み出す価値に対する報酬であり、その原則を徹底的に無視した組織が長続きすることは無いでしょう。

企業などが人を採用する時に、一般に博士卒を敬遠するのは、年齢が上がり過ぎると人の指導を受け入れる素直さ・柔軟さが乏しくなり、企業のミッションに向けて誠実に努力しないような人間が多くなるからです。

博士課程の学生・ポスドクでも、企業との共同研究などを通じて社会人として一般常識レベルのことができて、企業から見ても価値がある専門知識を持っていればむしろ引っ張りダコです。それを専門が狭いから、筆記試験を課して学部までも学んできたような科目の試験をしたところで意味は無いでしょう。

可能であれば、大学の教員になる人にも一般の企業での就業経験のある人を優先的に採用した方が良いと思います。企業側は将来会社に貢献してくれることを期待して人材育成するので、大学に出てしまうのであれば嫌がると思います。したがって、制度化することに難しさがあります。

大学の教員のほとんどが、博士課程まで進学し、学位取得後に教員になります。教員になる時に研修らしい研修もなく、学生の延長のような助教も多くいます。それで数年やれて大学に残ってしまうと、それが普通になってきます。さらに昇進する時にも研修が無く、矯正される機会がほとんどありません。

大学の教員は多くの雑務をこなさなくてはならず、学生の指導に充てられる時間も限られています。そのため教授も助教に雑務を少しでもやってもらうことで切り盛りしているので、教員としてしっかり育成することにかけられる時間とエネルギーはほとんどありません。

大学の事務方も、教員に対して研修をしている話はほとんど聞きません。大学における事務方と教員の関係からやりにくいのでしょう。若くて、たいした実績・経験もないのに、就職したとたん先生と呼ばれる職業はやっかいなものです。

このようなことを長年見ていると、できるだけ社会人経験のある人の採用を増やすのが、最も大学のコストがかからない方法なのではないかと思います。このような時代でも産業界から大学に就職したいという人も良く聞きます。まあ大抵は教授として転職したいということで、助教としてではありませんが・・・。企業をドロップアウトした人ではなく、企業で数年仕事し、優秀な若手を助教で呼び戻せればベストです。

企業に採用される博士を増やしたいのであれば、企業が求める研究を進めていて、企業と共同研究などを積極的に進めている研究室の博士を増やすべきでしょう。もっとも分かり易いです。

このように書きましたが、直近で実用化が見込まれないような純粋な自然科学の基礎研究も重要です。しかし、そのような才能のある人はわずかですし、社会としてそのような人に配分できる資金も限度があります。

国主導で博士課程の人数を増やしてきましたが、博士の人数を増やし過ぎでしょう。量を増やそうとすれば質も下がることは否めません。特に自然科学の基礎研究のような分野こそ、大学で教員あるいは国立の研究所としてある程度の割合の人数を確保するべきですが、その人数にも限度があります。

博士に進学する段階での審査を厳しくし、少数精鋭とすべきです。

実用になるような応用研究をする人材も先に述べたように企業との共同研究などを通じて育成すべきです。そして論文を書いただけでは実用化せず、さらに開発し、生産するメーカーの存在があって初めて実用化するもので、さらにメーカーはそれを買うユーザーがいて初めて生産するということを意識させるべきです。これらの人材も厳選すべきです。

どれだけ工夫をしても、資金がなければ環境は良くなりません。大学の研究室もそれなりの資金を付けてサポートスタッフを置き、組織化すべきでしょう。

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posted by ウホホイ at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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