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2009年08月23日

勇者の条件

古来、人間にとって「戦い」とは自らの存亡をかけた重要なものであり、その集団、民族、国などを背負って戦うものは「勇者」とあがめられました。そのような文化は、日本に限らず、世界中で見られます。

日本の歴史においても、戦場で華々しい活躍をした武士は後世まで語り継がれ、時には敵軍からも敬意を表されました。最近は「歴史ブーム」ですが、その中でも人気の真田幸村などもその例と言えるでしょう。

しかし、近年になって、特に第一次世界大戦以降の近代的な「戦争」の時代となってからは、勇者を崇拝するような文化は少しずつ変わってきているようです。先日、NHKの「映像の世紀」のDVDを観ましたが、近代的な戦争では兵器の性能が勝敗を決する場合が大半で、日頃、鍛錬を積んだ個人の力と力がぶつかり合うような人間らしい戦いとはもはや言えないからだと思います。原子爆弾などの例をみれば、戦いにロマンなどなく、人間のドラマもなく、ただの殺戮に過ぎません。そのようなものに誰も感動しませんし、不幸にして原爆を投下する命令を実行した者も多くの人々から尊敬されることもありません。

勇者を崇拝するという心情は、本能的な部分なのかもしれませんが、そういう意味では格闘技などのスポーツにはそのような文化が感じられます。私もK-1が好きで、K-1がスタートした頃から見ています。オランダなどの選手がよくコメントしているのは、「日本人の観客はマナーがよく、選手に敬意を払ってくれるので、本当に日本で試合をするのが楽しい」といった趣旨のことです。

日本には相撲、武道が継承されているため、戦いの場に礼、敬意といったものが受け継がれています。そのような文化が、格闘技全般にあるような気がします。しかし、オランダなどでは「賭博」や「ショー」の対象となっていたため、選手の社会的なステータスが高くなかったようです。

最近の格闘技は、K-1だけでなく、総合格闘技も発展しているため、より過酷で栄枯盛衰が激しくなっています。それだけに一時代を築いた選手でも、経済的に不遇な境遇になることが多いようで、社会的なステータスも低くなり、それが尊敬や憧れの対象から外れることにならなければと心配しています。

一般の市民にとっては、命がけの格闘などを強いられることはまれで、むしろ経済的な戦いに命を削ることが多くなっています。そのため経済的にあまりに不遇であると、「勇者」とみなされなくなってしまうようです。









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posted by ウホホイ at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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